第7回 全国キャラバン in 北陸報告


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5月27日(日)
本日はJARL富山総会にNFX考案のループアンテナの展示とキャラバン広報を兼ねる。早朝から会場確認で市内を右往、左往。最初に指示を出したのがRIU。すっかり悪者に。車載ナビのいい加減さもあるンだ!。
 会場では、思い思いのコスチュームやディスプレイを施したモービル局がひしめいているが、ルーフにループアンテナを取り付けていたのは我がJASCキャラバン隊だ。取り付けの段階から好事家がぞくぞくとやってきて、ああでもない、こうでもないとかしましいこと!。キャラバンアルバムを熱心に見てくれる人。JASCニュースやパンフレットを持って帰る人。
 
JASCブースは大人気
 会員増強につながってほしいンだがなぁ、とはRIUのつぶやき。早めの昼食を済ませ、ここでHWQは帰京の途へ。どのコースをとるにしろ、安全運転で無事の帰宅を祈るや切。朝食を終えたころからルームキーを無くした!?と、べそをかく人あり。結局バッグの底に鎮座ましまして、ご一同,お騒がせいたしました!。急いで北陸道へ。呉羽PAから不動寺までの間、CQを出し続けるがコンディションが悪く満足な交信ができない。オペレーター各局はいささかバテ気味。金沢市を左に見て数局と交信しつつ徳光PAにて大休止。
ここで奮起したのは 
 JF1JDA手島YL。私だってキャラバンの一員よ、CQを出します。トウキョウ・トシマクで全国にその名を馳せるYLが、イシカワケン・トクミツ移動と発信したのでヒョットするとアンカバーと間違えられたンじゃないの。30分近くCQを出していたがハタで聞いていると気の毒なくらい周囲から無視されていた。あるいは本当にだ〜れも聞いていなかったのかも。ログ担当のNFXはハナをほじっていた。全員くたびれて、はよ宿へイコ。誰ともなしのつぶやきは好感をもって受け入れられた。福井市に入って感じたこと。過疎!。あの徳島市内であじわった、アノ空疎感だ。


5月28日(月)
翌朝,宿舎の周囲を散歩する。小学生の少ないこと(小学校は宿舎の隣)。中学生が少ないこと。小型車がやたら多いこと。食後、JR福井駅へ。本日、天気晴朗なれどもCQにコンタクトなし。(月曜日のせいかナ)。アンテナはチャンと装着してアルのだが…。
ここまで来たなら
三方町にちょっと寄ってもらえンやろか。なにがありますノ?。サクマテイチョウや。えっ?、なんやのそれ!。修身の時間に習うたヤロが。シュウシン?、おっちゃん、とし、いくつやねンな!。なんでもええねン、要するにやな、自分の仕事にメッポウ忠実な人や、ニッポンより外国の人のほうがヨウけ知っとるんや。でも、今日は月曜日でッせ、休館日とちゃうか。なんでもよろし、車、そっちィ向けてェな、いこいこ。というような会話があったかどうか…。
 敦賀ICで、R27号へ。JA7EDRはこの先、静岡で仕事が待っているとかでココロ弥武に逸れども、一車線を、超安全運転の後ろについたのがウンのつき。いかんともし難し。行って戻って再び北陸道に乗ったとき、あわれEDRは腹痛、腸ねん転。北陸道は刀根、賎ヶ岳、米原と風を巻いてすっ飛んでいった。が、あぁ、やんぬるかな、道路表示に警告、
『名古屋まで3時間』。
 岐阜羽島で降ろして!、新幹線で行く!。5時ごろ日本平で拾って!。OK、OK、骨はひろったる、安心せぃ、充分にご奉公して来いヤ。腹は北山、空腹に耐えかねて、もうどこでもいい、なんでも食わしてくれ〜ィ。路傍のそばやの暖簾をくぐるJASCキャラバン。県道18号線を小牧JCT目指して一路東上。もう渋滞は解消したノデハないか、の期待は見事にハズレ。小牧から名古屋まで時速20km。高速に乗ったRIU、“東海道は白河夜船”と相成った。
日本平で
EDRがコールしてくる。PAの三角屋根が見える、交番をクリアしたか。ホテルの角を曲がった、太陽をどっちに見ている?レストハウスの裏へ回ってEDRを誘導しようと駆け回るNFX。地図の上でEDRの動きを追いながらケッコウ楽しんだRIUとEDR。
拾った後は
東京目指して一瀉千里。JASC本部到着は09:00PM。機材を卸下。RIUとEDRはそれぞれの車に乗り換えて家路を。GDWはNFXとJDAを自宅へ届けに。
 なが〜いキャラバンは無事終了。このたびはJARL総会参加というイベントが重なり、一同、本当にお疲れ様でした。
ご支援・ご協力ありがとうございました(敬称略)
後援 日本アマチュア無線連盟
日本アマチュア無線機器工業会
CQ誌編集部
協賛 アイコム株式会社
株式会社バーテックススタンダード
第一電波工業株式会社
コメット株式会社

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